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慈慶殿

慈慶殿
解說: 美しい花の塀で取り囲まれた所、チャギョンジョン(慈慶殿)です。 日が昇る前、 王と王妃の乗った籠がここチャギョンジョン(慈慶殿)の前で止まりました。 しばらく後、ネグヮン(内官)が大きい声で叫びます。 内官: マーマ。国王ご夫妻がごあいさつにお見えになられました。 解說: 王と王妃の一日の日課が始まって終わる場所、 そこがまさに皇太后(こうたいごう)様がいらっしゃる チャギョンジョン(慈慶殿)です。 「親孝行の家から忠臣が出る」という日本の諺のように、 「孝」は儒教において重要な徳目でありました。 そして儒教の下、朝鮮の王室では母親によく仕えることができなければ 王位から追い出される口実になったりもしたのです。 朝鮮の王様たちの平均寿命が47歳と短かった理由から 10歳前後という幼い年で王位を継承した王たちも多かったのですが、 この時、王様の代わりに攝政をした方も 王の母、すなわち皇太后(こうたいごう)だったのです。 そして皇太后は時に王位継承の序列から外れていた息子を王にするという キングメーカーの役割を果たしたりもしました。 こちらチャギョンジョンの主人公、シンジョン(神貞)皇太后は 朝鮮王朝最高の政治的逆転の主人公です。 朝鮮時代は末期になるほど 王子が生まれないとか、早く死ぬということが頻繁に起こりました。 王の子孫がいなければ王権は弱体化し、 王権を牽制した家臣たちの勢力がだんだん強くなりますが、 60年間、勢力を握っていた「アンドン・キムシ(安東金氏)」の 横暴はひどいものでした。 シンジョン(神貞)皇太后のご主人は王になる前に亡くなられました。 そして一人息子は孫を生む前、幼くしてこの世を去ってしまいました。 この時、 家臣たちの牽制と暗殺からの脅威を避けるため わざと狂人の真似をして長い歳月を過ごした イハウン、即ち、コジョン(高宗)王の父である フンソンデウォングン(興宣大院君)が提案をして来ます。 興宣大院君: 皇太后マーマ、今朝鮮には王がいないと同じでございます。 神貞皇太后: 今、後継者を選んでおるではありませぬか。 興宣大院君: 王を立てることはできるでしょう。しかしながら、 今までがそうであったようにアンドン・キムシ(安東金氏)が 力のない王を操り人形のようにしたて、 自分たちの利益になるよう政治をすることになるではありませぬか。 神貞皇太后: ならどうすればよいのですか。 興宣大院君: 私の息子を養子にして王にしていただけませぬでしょうか。 神貞皇太后: そちの息子はまだ12歳ではありませぬか? そのような幼子(おさなご)にいったい何ができると申されますか。 私の政治的な力ももはや限界にきております。 アンドン・キムシ(安東金氏)の力が強すぎて、 老いたわたしが立ちむかうにはあまりにも力不足です。 興宣大院君: 私が王の父として王に代わり攝政(せっしょう)をいたします。 神貞皇太后: そちがか?酒に溺れ、 王室の顔に泥を塗ってきたそちがやるというのですか? 興宣大院君: それは生き残るためにやってきたことなのです。 彼らを追い出して、朝鮮を強い国にするため 今まで長い間、考えに考えながら今まで堪えてまいりました。 どうかわたくしめにお任せくださいませ! 解說: 政治的危機に迫られていたシンジョン(神貞)皇太后は コジョン(高宗)王の父、フンソンデウォングン(興宣大院君)と手を取り合って 秘密裏にそして緻密なコジョン(高宗)即位の準備をしました。 そうして、 王の父になったフンソンデウォングン(興宣大院君)は 王権の強化と強い朝鮮を作るため 豊臣秀吉の朝鮮侵略で焼けてしまったキョンボックン(景福宮)の再建に着手します。 その中でも 最大の政治的パートナーであった シンジョン皇太后の空間であるチャギョンジョン(慈慶殿)の建築には、 ずいぶんと神経を使ったのであります。

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