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東宮<資善堂·丕顯閣>

東宮<資善堂·丕顯閣>
解說: 日が昇る東に位置した宮廷、トングン(東宮)。 こちらは もうすぐ太陽のように昇る皇太子ご夫妻の生活空間、 チャソンダン(資善堂)·ピヒョンガク(丕顯閣)です。 朝鮮時代は原則的には長男が王になりましたが、 朝鮮の王、27人中、長男として無事に王になられた方は七人、 わずか26%だったのです。 朝鮮時代も終り近づくほど直系よりは傍系から王位をつぐ 場合が多くなりました。 ここチャソンダン(資善堂)で過ごしたセジョン大王の息子である、 ムンジョン(文宗)王の人生にはさまざまな紆余曲折がありました。 一番目の王妃は迷信に溺れて追い出され、 二番目の王妃は同性愛者だったために追い出されました。 そして三番目の王妃は男の子を出産した次の日お亡くなりになられたのでした。 そして、 ムンジョン(文宗)王自身も王に即位してから2年後、 39歳の若さで亡くなられたのです。 それだけではなく、 ムンジョン(文宗)の息子、 セジョン大王の孫にあたるタンジョン(端宗)王は 生まれた次の日にお母さんがお亡くなりになり、 12歳の時、幼くしてお父さんまで失います。 そして王に即位した3年後に、今度はご自身が叔父によって殺されてしまいます。 以降、朝鮮の王たちはキョンボックン(景福宮)よりは チャンドックン(昌徳宮)で過ごすことを好んだといわれています。 皇太子として生まれたということは、 祝福を受けた事のように見えますが、 一人の人間としての皇太子は果たして幸せだったのでしょうか? 朝鮮の皇太子は 生まれて間もなく、お母さんと離れて乳母(うば)に預けられ、 そして愛嬌いっぱいの3歳になると、 朝鮮最高の学者たちから本格的な勉強を習うようになり、 王になるまで 熾烈な権力争いのなかで息を殺して生きるしかないつらい立場だったのです。 このように皇太子たちの波乱万丈のいきさつがあるように チャソンダン(資善堂)とピヒョンガク(丕顯閣)にもいろいろないきさつがありました。 日本による強制併合の後、 キョンボックン(景福宮)の取り壊しが始まった時 もっとも最初に日本に売られていった建物がチャソンダン(資善堂)です。 その後、関東大地震の火災で消滅し ホテルオークラにチャソンダン(資善堂)の礎石だけが残っていたものが 韓国に帰ってきました。 チャソンダン(資善堂)とピヒョンガク(丕顯閣)がなぜか悲しく見えませんか。 しかし、 悲しみの中で幼くして亡くなったタンジョン(端宗)王は、 現在、巫女(みこ)信仰のなかで神としてあがめられ人々に記憶されています。 遠い日本まで行ってしまったチャソンダン(資善堂)の遺構も 再びキョンボックン(景福宮)に帰って来て 現在はコンチョングン(乾清宮)の裏手に位置しています。 人として短かく、苦しい人生を過ごしたとしても 神になって永遠に生きることになった 「タンジョン(端宗)」、 そして紆余曲折の果てに本来の場所に戻ってきたチャソンダン(資善堂)の遺構。