解說: キョンボックン(景福宮)の後園、ヒャンウォンジョン(香遠亭)です。 1895年、陰暦9月1日、夕方頃。 コジョン(高宗)王とミョンソンファンフ(明成皇后)が仲睦まじく、 ここヒャンウォンジョンの周辺を歩いておられました。 「王は地を踏まない」とはいいますが、 たまにはこのように散歩をされたりもしました。お二人がお言葉を交わされます。ミョンソンファンフ: チョナ(殿下)、顔色が暗うごさいます。 何かご不快なことでもおありなのですか。 コジョン(高宗): 今日、日本から新しい公使が到着したとのことです。 ミョンソンファンフ: 三浦梧楼(ミウラ・ゴロウ)のことですか。 コジョン(高宗): そうです。 ミョンソンファンフ: 軍人出身の官僚と聞きましたが。
コジョン(高宗): そのことですが、どうして軍人出身を公使として送ったのだろうか。 日本がなにか計略でも持っているのではないか不安です。 ミョンソンファンフ: 不安に思われる必要はありません。
コジョン(高宗): えっ?ミョンソンファンフ: 日本は日清戦争で勝って 中国の遼東(リャオドゥン)半島を奪いましたが、 ロシアとドイツ、フランスが戻せと言って圧力を加えると、 返還したのです。
ロシアが持ちこたえている限り、いくら軍人出身といっても、 むやみに武力を使えないでしょう。
コジョン(高宗): 「ネズミも追い詰められれば猫をかむ」というではないですか、 大丈夫でしょうか。
ミョンソンファンフ: チョナ(殿下)、ここにいらっしゃる間だけでも、 政治の事はみな忘れて、お休み下さい。 ご病気にでもなられるのではないかと心配です。 コジョン(高宗): では、そうすることにしましょう。 三浦梧楼(みうら・ごろう)日本公使が武力を行使することはできないと思われましたが、 それは誤った判断でした。 三浦梧楼(みうら・ごろう)はこの時すでに、 ミョンソンファンフの暗殺を計画していたのです。 心配でいっぱいのコジョン(高宗)王とミョンソンファンフ(明成皇后)が
ヒャンウォンジョン(香遠亭)の橋の上に立ってお話を交わしておられます。
コジョン(高宗): こちらに橋をかけた時のことが思い出されます。 ミョンソンファンフ: はい。その時、家臣たちの反対を予想して 家臣たちにこっそりと乾清宮(コンチョングン)を建てて、 こちらを補修されましたね。 コジョン(高宗): 結局ばれてしまったじゃありませんか。 反対の上訴がどれほど多く上がってきたことか、 すべて読むことはできませんでしたが。 (ハッハッハ~と笑う)ミョンソンファンフ: お父様の興宣(フンソン)大院君(だいいんくん)は、 チョナ(殿下)がまだ幼いと、ずっと摂政をしようとされましたが、 結局お父様を政治から退けられましたし、 その日以後、あらゆる事を上手になさってこられたではありませんか。 今後もきっとうまくいく行ます。コジョン(高宗): そのすべてのことは、そなたがいなかったなら、できなかったでしょう。ミョンソンファンフ: また、そうようなことを・・・ 私でなくチョナ(殿下)がなさったことでございます。 コジョン(高宗): はいはい~分かりました。
ミョンソンファンフ: チョナ、風が冷えてまいりました。 中にお入りになられてはいかがでしょう。
コジョン(高宗): ええ、そうしましょう。 ミョンソンファンフとコジョンが橋を渡ってコンチョングン(乾清宮)に入ります。
写真ギャラリー
動画